超縁円創
人間の深い傷を知った
わたしを通して知った
なぜそんな言い方しかできないの?
そんなこと言われたってそんな言い方しかしたことない
なんでかわかんない
わかんないんじゃない
知りたくなかったんだ
気づきたくなかったんだ
感じたくなかったんだ
尊厳が傷ついてるよ
って誰かが言った
尊厳?
そんなのわかってる
比較不可能な絶対世界でしょ
無限の可能性でしょ
それから
それから
とにかく尊厳わかってる。
Dignity
でも何故だろう。
尊厳が傷ついてる
って
言葉が妙に気になったんだ
そういえば、
こないだあの人にも
君は自分の感情を見てないね
自分の本当の思いを置き去りにしてるんじゃない?
って
言われたなぁ。
なんでたろう。
わかんない。
そうなのかもな
あ、やっぱりそうか。
うんうん
で?
どうしたらいいの?
そして、
私の中のわたしと
目の前のあなたが同時に答えた。
「自分の尊厳を癒せるのは自分しかいないよ」
そうか、
わかってたつもりになってた。
いや、わかってるけどわかりたくなかった。
だって、
誰かに癒して欲しかったし
わかってほしかった。
理解されたかった。
あたしがどれだけがんばったのか
あたしがどれだけ苦しんだのか
あたしがどれほどうれしかったのかも
わかってほしかった
満足するまでわかってさえもらえたら
誰かりひとりでも
わかってくれたら
わたしは癒されると思ってた
無意識深くで思いこんでいた
そして気づいた。
癒されたい気持ち
と
癒したい気持ち
わかって欲しい気持ち
と
わかってあげたい気持ち
そのどちらでもない
対象も
比較も
ないところで
わたしは存在してるだけでオールOKだって。
高くしすぎず
低くしすぎず
過不足なく
自分のありのままを認識したとき
わたしは癒されてるんだ
わたしは私を癒しているんだ
それが
本当の尊厳だ
絶対比較不可能
無限の可能性
誰かがいてもいなくても
認められても認められなくても
まっすぐ前を見つめていける
まっすぐ今ここを見つめている
尊厳そのもののわたし
そして尊厳そのものあなたに出会う
そのために
わたしは人間の限界をいつも感じているんだ
ちゃんと感じられるんだ
人間は
あなたは
わたしは
私たちは
ひとつの愛そのものでしかないことを知るために
自分で自分を終わらせる勇気があるのに
今日、地元の同級生から電話がかかってきて、このニュースを知りました。
青森中2女子自殺 「変なうわさで学校に行けない」と友人に相談
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/fnn?a=20160830-00000723-fnn-soci
わたしの通っていた中学校に通ってた中学2年の女子生徒が自殺したとのこと。
その原因がイジメではないか、と。
またこの亡くなった生徒さんの親御さんはわたしの同級生でもありました。
スマホのメモに記した遺書。
13年間ありがとうございました。
と。
早すぎるなぁ。
わたしが25歳のときに産まれた女の子がもう人生終わらせちゃったの?
親御さんの気持ちになってみたらまた苦しい。
悔しいだろうなぁ。
悲しいだろうなぁ。
産まれるときすごく楽しみにしてて
ずっと大事に大事に
育んできたんだろうなぁ。
この亡くなった女の子の遺書には
もうさすがに耐えられません。
などの悲痛な叫びも記されてました。
いじめが原因なのか
これから調査がされていくと思いますが、
わたしは
いじめた人が悪いとか
学校の対応が不十分とか
もうそんなレベルの話では本当に限界だなと感じます。
いじめを作る環境も
いじめた人を作る親も
本人も
本当に何が問題なのかもわからない、
一言で言えば
教育が放棄されているのだと思います。
今までの教育では
人間が何なのか、
この現実はどうやって成り立っていて
考えや感情(観点)がどう生まれて、
人と人の違いが何のためにあるのか?
本当に知りたいことに疑問を持つことすらできない暗記するだけの教育をしてきた結果
いじめ、自殺、鬱が増える一方です。
わたしはこのニュースを知って
今の暗記中心の学校教育に本当に限界を感じます。
何としても変えていきたい。
自分とは何なのか、
人間とは何なのか、
人と人の関わりがなぜ必要なのか、
それがとれほど美しい奇跡なのか
人間ひとりひとりが違うことがどれほど尊くて
人と人が違うことを楽しんで、喜び合って
応援し合える
人間関係をどうすれば育てられるのか。
ひとりひとりが自発的にクリエイティブし続け、人と協力しあうことで何かを達成していく喜びと感動にあふれた世界を。
わたしは
亡くなった13歳の勇気ある女の子の意志をしっかり受け取って
教育を変えていくことを
心新たに決断しました。