愉快!痛快!錯覚世界♪

この現実世界は愛すべき錯覚。愛すべきマボロシ。この現実世界のマボロシの一瞬間を愛する能力の発見と開発、刹那を愛する生き方をコンサルします。

形にならないというかたち

禅語の中で

「啐啄同時」(そったくどうじ)

というのがあります。

自分の目の前に起きてくる現象は
その啐啄同時のイメージを使って整理してみることができます。


-------------------------------------------------------------
※啐啄同時とは(引用)

5月野鳥にとっては子育ての時期です、卵の中のヒナ鳥が殻を破ってまさに生まれ出ようとする時、卵の殻を内側から雛がコツコツとつつくことを「啐」といい、ちょうどその時、親鳥が外から殻をコツコツとつつくのを「啄」といいます。雛鳥が内側からつつく「啐」と親鳥が外側からつつく「啄」とによって殻が破れて中から雛鳥が出てくるのです。

 両方が一致して雛が生まれる「機を得て両者相応じる得難い好機」のことを「啐啄同時」というのです。親鳥の啄が一瞬でもあやまると、中のヒナ鳥の命があぶない、早くてもいけない、遅くてもいけない、まことに大事なそれだけに危険な一瞬であり啐啄は同時でなくてはなりません。

(引用終わり)
-------------------------------------------------------------



わたしたちが生きているのは

相対世界だからかならず


陰と陽から成り立ってますね。


男と女が一番イメージしやすいと思うけど


男と女がひとつになると子供が産まれる。


そうなるための条件として


たとえば同じタイミングで一致する目的目標が男と女に同時に生まれる必要があるわけですよね。


お互いが思うタイミングが少しずれるだけでも


結果(子供)は産まれてこない


愛したい
愛されたい
愛されたい
愛したい
分かれてるから
ひとつになりたい
ひとつになったことをわかりたい
ひとつになった証(子供)が欲しい




それは体レベルだけではなくて

考えや感情レベルでもいつも人間が達成したい思いでもあり


相手と一つになった5感覚で見える結果として、人間という存在を楽しんでいるわけですね。


たとえば実際に会いたいっていう
思いだったり


婚約指輪欲しい
だったり

つき合う
とか
結婚する
という形だったり。



なにかしらのかたちを産みだそう
産み出したい
という意志は


愛そのものであるなぁ


とつくづく思うんですよね。




ということは、



いくら思っても望んでも形にならない、


結果が出ない


ということはどういうことなの?



って考えたとき


かたちを生み出したい相手との


「啐啄同時」(そったくどうじ)


が起きてない=かたちにならない



と言えますね。




形が作られないことが悲しいのではなく


ひとりでは形あるものはなにひとつ作り出せないことがわからないことが悲しい。


それがいっこいっこの細胞まで理解して

だから人と出逢いたいんだ!と思えたときに


本当に出会いは愛おしいことなんだと


実感できると思います。



相対的に出会い


違いを融合させたいという意志を持って


相手とひとつになって


なにかを生み出すこと。


そういう出会い、よくないですか?(*^^*)


もっと欲しがるあなたなら


深く相対世界を眺めてみて


かたちにならないことすら楽しめちゃう


ってよくないですか?(*^^*)


あなたは誰と


どんなかたちを生み出したいですか?



f:id:mayurhythm:20160206004757j:image