愉快!痛快!錯覚世界♪

この現実世界は愛すべき錯覚。愛すべきマボロシ。この現実世界のマボロシの一瞬間を愛する能力の発見と開発、刹那を愛する生き方をコンサルします。

絶望のすすめ

実はわたし、


絶望の達人


とか言われます。(笑)


自分の心が経験したストーリーを


時折、人前や出会った人に話させてもらう機会があって


まぁそんなフィードバックをもらったりします。



わたしは今、


全ての経験を抱きしめて


超えた感が満載なので、


基本的には何かを感じてもらえるだけで
満足。

もしくはわたしの話を聞いてくれようとするだけで嬉しい。


だからどんなフィードバックでも嬉しくてたまらないです。




さて、



その「絶望」についてなんだけど。




実はわたし3歳の頃に


「初めての絶望♥」


を経験しました。



なんだったかというと、


大好きだった「聖戦士ダンバイン」というアニメが最終回のとき。



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小さなわたしは布団の上で


「あーダンバインが終わるなんて。。
人生終わった。。もうもうわたしの人生は終わりだ。。!(TT)」



ってマジで大泣きしてました(;´Д`)



いわゆる「絶望」です。




何にそんなにダンバインに良さを見出していたのかさっぱり思い出せませんが、


その絶望したかんじだけは今でもはっきりと
景色や感情を覚えてるんだよね。



わたしという人間は

すぐに

人生終わりだー


とか


思いやすい。


絶望を感じることが多いパターンを幼少期から蓄積してきてるんだよね。



それが究極までいくと、



死にたい。



人生38年の中で、



きっと嬉しい楽しい幸せ


より


もうだめだー
絶望ー
死にたい


の方を蓄積してきてるはず。



でもね、



絶望してるんだ、わたしは


と思えることは強さだったんだな、


と今思います。



絶望って次の光や希望なにも見えない閉塞された状態。



上も下も右も左も余白がない


心が身動きできない状態。



わたしがやっているセッションでは
人間の心をメカニズムで整理していて、

これを「存在できない感覚」と言います。




この存在できない感覚を味わいたくないのが人間なので


何とかかんとか回避しようとするんだよね。



たとえば絶望なんかじゃない、気にしなければいいんだー


とポジティブThinkingに持って行ってみたり、


考えなくてもいいように熱中するなにかを見つけて考え、感情を無視したり。

(これは自分の思いや感情マヒさせるから心の自殺とでもいおうか)



行動派の人は自殺しちゃったりね。




わたしも自殺試みたことが3度ありますね。


行動派なもんで(笑)



そんな一見、避けたいようなマイナスイメージのする絶望ちゃんですが、、






絶望できることはものすごい勇気があることであり、
強さなんです!







わたし絶望してる






と、自分の心を認め、規定できることはものすごい勇気のいること。



とくに曖昧な考え方を好む日本人には
規定するというのは苦手な分野です。



しかし、


絶望しているんだ、と認めれてしまった暁には、




これ以上絶望することがないので



次元上昇した出来事しか起きなくなるのです。



宇宙の構造から見てもシンプルにそうなんです。



絶望したら新しい扉が開くんです。



でも、絶望してる


ということが規定できない人というのは、
(自覚したくない人)



いつまでも自分の心を半殺しにしているので



息絶えるまで新しい扉は見えてきません。




新しい扉、



ワクワクしませんか?



新しい扉をひらくとき



かならず新しいチャレンジを一緒にしてくれる友人や仲間やパートナーと出逢えます。



恐れることなく、



無理、限界、もういやだ!



という自分の心に声に耳を傾けて




安心してとことん絶望しましょう(*^O^*)/




それはあなたの強さ。






そうしたとき


必ずあなたは新しい希望の扉を見つけ



その扉は必ず開かれるんです。



(新しい扉開かれる感じしないんだけどー、
という方は個人的にご一報ください(笑)
お手伝いいたしますv)





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